子どもたちの劣等感を取り除きたい


「藤井くんのように書きましょう」〜小学生時代〜

私は、小学校高学年の時に担任していただいた恩師の影響で、書が好きになりました。小学生時代の私は同級生と比べても極端に体がやせて小さく、体力もなかったので、体育は全くできず、勉強も決してできることはありませんでした。

担任をしてくださった男性の教師は、書が好きな方で、黒板には毎日とても整った文字で書かれていました。私はその文字を毎日あこがれながら見ていました。

私はたまたま家の隣が習字教室の先生でしたので、その教室に通っていたこともあり、唯一学校での「書写」の授業が楽しみでした。何をさせても人並みにできない私でしたが、担任の先生は毎回のように書写の時間には私の書いた半紙を掲げて、「みんな藤井くんのように書きなさい。」と褒めてくださいました。

しかし、今考えてみると、その当時の私は特別に書がうまかったわけではなかったのだと思われます。なぜなら、学校や習字教室から出品した書写の大会でも大きな賞をもらったことは一度もありませんでした。つまり、担任の先生は、他に何もできなかった私に自信を持たせようと、ちょっぴりうまかった私の書を取り上げて大げさに褒めてくださっていたのでしょう。

子どもですから、この担任の先生の言葉が嬉しくて、自分は書がうまいのだと勘違いしてそのまま、いつのまにか書の道を歩むようになっていました。また、私が教員になろうと思った理由の一つにも、この先生との思い出が大きくありました。「褒めてやることで子どもの人生を変えることもある。」大切なことをこの先生から教わりました。

 
  「自分の字が嫌い」〜中学生との出会い〜

その後、大東文化大学を卒業した後、中学校の国語科教諭として、広島県に採用されました。中学校教員としても得意の書写授業を中心に指導を行っていましたが、生徒達から「自分の文字が嫌い」「書写の授業が嫌い」という声をよく聞きました。きっと小学校において人生で初めて「書写」に接したときに良い出会いをしていないのではないか、それで「自分の文字」に関して劣等感を持っているのではと感じました。

私自身がそうであったのと同じように、子どもたちに文字(書写)と良い出会いをさせてやりたい、今度は私が救う番だという思いが強くなり、小学校への異動を考えるようになりました。しかし、私は小学校教員の免許を持っていなかったため、勤務をしながら通信制の大学で学び、免許取得後9年間の中学校教員生活を最後に小学校に異動することになりました。

 「藤井先生しかできない授業です」〜小学校教諭としての失敗〜

小学校教員となると同時に市内書写部会の事務局をさせていただくことになり、市内の子ども達に「書写と良い出会いをさせてやりたい」という願いを実現するためリーダーシップを取ることを決意しました。しかし、当時の私が行っていた書写授業は、子どもの前で毛筆を使って何度も書いて見せ、瞬時に個別指導を行い、欠点を指摘して修正することで子どもたちの文字を完成させる授業でした。確かに子ども達は上手くなりましたので、これが良い授業と私自身勘違いをしていたのです。

私が提案授業を行った後の協議会で、ある先生から「素晴らしい授業ですね。これは藤井先生しかできない授業です。」と言われた時さえ誉め言葉と勘違いをしてしまいました。その言葉の裏には「(藤井しかできない)他の教員にとっては参考にならない役に立たない授業」であるということだったのです。冷静になってその言葉の意味を考えた時、私は自分の技術と勘に頼った授業をしていたことに気づき、恥ずかしさでいっぱいになりました。私は本当に子どもたちに書写と出会いをさせていたのだろうか。書写の教育方法についてもう一度学び直すために、安田女子大学大学院に進学することを決意しました。

 「文字に劣等感を持つ人の気持ちが分かるか?」〜大学院で気づいたこと〜

大学院では、当時全国の書写書道教育を牽引されていた久米公(いさお)先生と永年小学校の書写教科書の編集に携わっていた安田壮(つよし)先生との出会がありました。

久米先生は、初めての講義で「自分の字を好きでない、文字に劣等感を持った人の気持ちが分かるか?」と問われました。文字を上手く書くことができない人の気持ちが分からなければ、良い授業はできないということをおっしゃられているのでした。常に子どもの目線に立って授業を考えること、子ども達に考えさせる授業を創ること等々、自分の実践した授業を基に熱く語られました。この時、これまでの私の授業は子ども達に教え込みの授業であり、全く話にならない授業であったということを思い知りました。

この久米先生、安田先生との出会いで、私の書写授業への考えは一変しました。大学で書について学び、中学校の教員としてスタートし、通信制の大学に通って免許を取り、小学校に異動し、大学院に進学し、物わかりの悪い私ですから本当に遠回りをしましたが、やっと真理にたどり着いた思いでした。

 「子どもたちの文字に対する劣等感を取り除くには」〜私のライフワークとして〜

 「絵をかくこと」や「楽器ができないこと」に強い劣等感を持っている人は少ないと思いますが、「文字を書くこと」に劣等感を持っている人(子ども)は多いというのが永い教員経験からの私の印象です。絵をかくことは日常場面でそれほど必要とされませんが、文字は日常場面と密着しているほど多いため、自分の文字の未熟さを繰り返し思い知らされているからです。これを救うには
小中学校での書写教育の充実が大切でしょう。
 しかし、小学校教員の環境として「大学での教員養成時代に書写の指導法を学ぶ機会」や「教員研修として書写の指導法を学ぶ機会」が非常に少ないのが実態です。
 私は大学院修了後、
「子ども達の文字に対する劣等感を取り除き、主体的に学び、対話的に進める書写授業」を作っていくことをライフワークとして自分の授業の改善を繰り返してきました。まだまだ道半ばではありますがホームページ上で伝えさせていただきます。少ない書写指導法の研修の機会に少しでもお役に立てれば幸いです。

  藤井 浩治