中学校で教えておくべき事は?


小学校の書写と中学校の書写の学習内容で決定的に違うことは、「行書(速書)指導」です。

私は最初中学校の教員を9年間勤めてその後小学校に異動しました。
初めて小学校の教壇に立った時の失敗を今でも覚えています。
小学校5年生の国語の授業で、中学校と同じスピードで黒板に書いて説明をし、すぐに消して新たに次のことを書
き始めてふと子どもたちのノートを見て驚きました。それは、クラスの子どもたち誰一人としてノートを書けていなか
ったからです。
小学校の先生は一文字一文字ていねいにゆっくりと黒板に書きます。そのスピードでないと子どもたちがノートを書
けないからです。
小学校を卒業して中学校1年生になったばかりの子どもたちも、きっと中学校教師の板書の速さにとまどっているの
ではないでしょうか。

しかし、中学校・高校・大学と進むごとに学習量は当然のごとく急増し、いつまでもゆっくりノートを取ることは不可能
になってきます。大学の講義に至っては黒板なんて物はなく、教授の口述筆記を余儀なくされるケースもあり、そこ
には
速書が必要になってきます。
つまり、中学校から先は
「楷書」では間に合わないということなのです。ですから、中学校で「行書(速書)指導」が
書写の学習に入ってくるわけです。

速く書けばよいと言うのではありません。速く書くことと乱雑に書くことが同義語になっていないでしょうか。
読みやすくしかも速く書くノウハウを学ぶのは、一生の中で、
「中学校の書写」だけなのです。子どもたちは「行書」
を自然に覚えるのでもなく、中学校教師以外の誰かに教えてもらうのでもありません。「中学校の書写の時間」でし
か学べないことを意識して、教師は指導にあたりたいものです。

中学校で学習する教科や内容はどれも大切なのですが、「行書」の技能習熟の学習は、それから後の学習の場に
欠かせない重要な学習内容であることは当然なことなのです。

私も中学校の国語の教員として9年間「書写」の指導をしましたが、「行書指導」の重要性に気づくことなく「楷書中
心」の指導をしてしまったことを大変悔やんでいます。本当に失敗ばかりで恥ずかしいことです。